このコーナーでは区民のみなさんが気になる・疑問に思う、政治や社会のトピックについて、一般的な知識の説明や、じんのゆずるの意見をお答えします。
江東区議会のサイトによれば、「区議会は、区民の皆さんから選挙によって選ばれた議員で構成される区の意思決定機関です。区議会の権限は、条例の制定やその改廃のほか、予算の議決、決算の認定、請願・陳情の処理等があります。」となっています。
また、その仕事は、「区長や議員から提出された議案を審議して、その可否を決めることを議決といいます。議決には、予算や条例など団体としての江東区の意思を決めるものと、意見書や決議など区議会の機関意思を決めるものとがあります。」や「区議会は、区の事務全般にわたって調査する権限を持っています。また、区の事務の執行管理・出納の検査をすることができます。これらの権限の行使により、行政の執行をチェックすることができます。」と記載されています。
役割はその通りですが、問題は、江東区議会の場合、議案が実質、区長提案のみであることと、その提案が全て可決されることを前提としていることだ、と考えています。
誤解を恐れずに言えば、区側の力が強過ぎる、ということでしょうか。議会側も自公で過半数を得ているので、多数決を取れば結果は自明な(区側の提案通りになる)わけです。
もちろん、区民にとって良い提案であれば可決されて然るべきです。ぼくが本当に問題だと考えるのは、議会側の思考が止まってしまっていないだろうか、ということです。
委員会でもほとんど質疑をされない議員もいますし、そうした議員個人の問題だけでなく、議会としても、例えば予算委員会では、その会派が予算案になぜ賛成(反対)するのか、表明をする場面がありません。ちなみに東京都議会では、採決の前に「討論」という時間があり、各会派が理由を含めて賛成・反対を明確に表明します。
江東区議会の場合、各議員が、様々な区の事業に対する質問や意見を発言はしますが、区長提案の予算案になぜ賛成(反対)するのか、議員全員がしっかり考えているのか、疑問に思えてしまいます。
ぼくが「本当の議論ができる、透明な議会に改革!」と言っているのは、こういう点を指しています。議会としての仕組みづくりが、まだまだ必要です。
今、立憲民主党に所属をし、区議会では民政クラブという会派に所属をしています。
2007年、当時の民主党公認で区議選に初挑戦させていただきました。これは、当時は民主党の都議会議員であった柿沢未途(現)衆議院議員の影響が大きかったです。ご健在でいらっしゃった故柿沢弘治元外務大臣共々に全面的なサポートをして頂きました。
2期目も民主党公認で再選、3期目はあえて公認をお断りして無所属で挑戦、一敗地にまみれました。この時は、区議会で別々に存在していた民主会派と維新会派を、改選後には統合してより大きな固まりを作りたい、そのために自分が無所属となって両者の接着剤的な役割を担わなければならない、と考えてのことでした。
こうした経緯の中で、2019年の再チャレンジでは、立憲民主党の公認を頂きました。落選中にも不定期ながら続けてきた「コミュニティミーティング」という活動が自分のベースだと考えていますし、それが立憲民主党の標榜する「草の根民主主義」と合致すると考えたからです。
(ちなみに、国会議員などの来賓をお呼びする従来型の議員の区政報告会を脱し、地域の現状や課題を公の場で共有する仕組みを創るために、テーマや対象の方々を絞った小規模なタウンミーティングのことを「コミュニティミーティング」と名付けています。)
そして、おかげ様で再び議席をお預かりすることができ、2015年に(自分は当選を果たせませんでしたが)前述の統合会派を作ることはできていたので、それをもとに、ぼくを含む復帰組と新人を加えて11名による第二会派(2番目に人数が多いという意味です)・民政クラブを結成しました。立憲5名の他に国民民主2名、無所属4名の構成。
本来、地方議会は国会と違って与党・野党という考え方はないのが当然です(首長と議員が別々の選挙で選ばれる二元代表制なので)。民政クラブも、区長提案の予算などの議案に賛成をしながら、言わなければならない意見をしっかり言い込んでいく、というスタンスです。
でも、自分たち自身が、史上初めて自公以外が第一・第二会派になった重みをまだまだ活かせていないと考えています。これからです。
日本の地方自治制度は、廃藩置県(明治4年)より少し前に、「府藩県三治の制」などを定めた「政体書」が起源となっています。そして現在の制度は、戦後の昭和22年に「日本国憲法」とともに制定された「地方自治法」に基づいています。
憲法では、第8章に「地方自治」という記載があり、第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。と記され、地方自治は保障されています。
でも、「地方公共団体」、つまり”地方において公共の行政サービスを行う団体”という名称が指し示す通り、自治(自ら治める)という言葉とは裏腹に、あくまで”国から業務を委託された出先機関”という位置付けに読めませんか?
本来は「地方自治体(自治体)」の名の通り、自治体住民(江東区民)の命と暮らし(財産)を守るためにその地域(江東区)の特徴に合った施策を検討・実行するべきではありませんか?(ちなみに自民党の憲法改正草案(平成24年)でも、「地方公共団体」という法律用語は「地方自治体」に改められています。)
例えば、(市町村と都道府県の関係ではありますが)平成30年6月に成立した地方分権一括法(第8次)の中に、保育所等の「利用定員の設定・変更に係る市町村から都道府県への協議を廃止し、事後届出とする」という内容があります。これによって、事前に東京都(知事)に協議する必要が無くなり、自治体(地域)に合った保育所の定員設定を迅速に行うことができるようになっています。
(*「地方分権」と本来の「地方自治」は異なる概念だと考えていますが、ここでは一例として挙げさせていただきました。)
また、災害への対応は、例えば昨年の台風19号を思い起こすまでもなく、仮に国がすべてを決めていたとしても被害想定はそれぞれ異なるわけですし、事前の備えや現場での対応は自治体が置かれた状況に応じて行わなければなりません。国や都道府県よりもその特徴を最も熟知しているわけですから。(もちろん被災後の支援には国も大きな役割を担う必要があります。)
しかし、江戸時代以来の中央集権型の社会から本当の意味で脱却して、自分たちが暮らす地域(自治体)づくりを地域自身で行うには、仕組みの改革はもちろんのこと、地域側(自治体・議会)の大きな意識改革が絶対に欠かせません。
現在の新型コロナウイルス対策に関しても、国や都の示すことだけを実施していて本当に区民を守れるのか、と強く考え発言をしています。例えば江東区は人口増が続いている、臨海部と城東地区では環境が大きく異なる、特に臨海部では子育て家庭も多い、コミュニケーションの場としての商店街やお店などがまだまだ元気に頑張っている地域がある…などなど、23区の中だけで比較しても江東区の特徴がたくさんあります。最も合った支援策は自治体でしか作ることが出来ないはずです。
住民の命と暮らしを守るためには、地方自治(地域自治)の深化がどうしても必要です。
日本の国政は議院内閣制をとっています。内閣(行政機関)のトップである内閣総理大臣は国会(立法機関)によって国会議員の中から選ばれます。今で言えば自民党・公明党が国会の過半数の議席を占めていますので、多数決によって両党の国会議員の中から総理大臣が指名され、各省の大臣・副大臣・政務官を任命します。つまり自・公が内閣を形成する「(連立)与党」(政権担当政党)です。一方、それ以外の政党は、政権を担当しない政権の外にある在野の党、つまり「野党」です。
平成21年に実質初めて衆議院の総選挙で政権が交代し、民主党(当時。以下同じ)が与党に、自民党が野党になりました。政権交代可能な二大政党制を目指すとすれば、ようやく第一歩を踏み出せたわけですが、この時の総選挙では野党であった民主党のマニフェストが大人気となりました。
「与党は実績で争い、野党はマニフェストで争う」と言われますが、これは選挙の時だけではありません。マニフェストを「政権政策」と言い換えれば、野党は、「自分たちが政権を担当すればこういう政策に取り組む」「この政策のこういう点が問題なので、自分たちならこういう異なる視点に立ち、こう改める」といった姿勢で発言(本会議や委員会の場だけでなく、質問主意書という文書による質疑も含めて)していく必要があります。
国会で野党が政策提案をしても、それ自体は多数決で必ず否決されてしまいます。が、そのことによって、内閣(与党)が提案する政策をブラッシュアップする(磨きをかけてより良いものにする)ことが出来、それこそ野党が担うべき大事な役割です。
ちなみにぼく自身はいわゆる”審議拒否”は絶対にするべきでない、議員としての責任放棄だ、と考えますが、場面によっては審議拒否をすることで与党の譲歩を引き出す、ひいては政策がより良くなるという展開があるんだそうです(この感覚は経験しないと分からないのかもしれません)。その是非はともかく、野党は反対ばかりしている、例の問題ばかり扱っている、という報道の上っ面だけを見るのではなく、その背景や中身をしっかり捉え、自分なりに考えていくことが有権者に求められると考えています。それが、与党案を多様な面から検証して、より良い政策に磨き上げる過程に必要不可欠なことなんだと。
ところで都政や区政の場合は議院内閣制ではなく、行政のトップ(知事や区長)も議会(議員)も直接選挙で選ばれる二元代表制です。従って制度的には与党・野党という関係は存在しません。実際には”区長与党”という言い方をよくしますが、これは疑似的なものです。
でも、行政(区長)が提案する政策をブラッシュアップする(あるいは提案されない政策を新たに提起する)ことが、本来議会が担うべき最も大切な役割である、という点は同じだと考えています。
直近5回の各種選挙の江東区での投票率を見ると、2016年「都知事選」61.7%、2017年「都議選」54.6%、同年「衆院選」55.6%、2019年「区長・区議選」46.7%、同年「参院選」52.4%と、一番高かった前回の都知事選でさえ6割にやっと届いた程度(それでも都全体の投票率よりはやや高めですが)で、メディアに採り上げられることが比較的多い国政選挙でも50%台が常態化してしまっています。つまり、有権者の半分近い方が選挙に行かないわけです。
「野党の存在意義」でも書きました2009年の衆院選の時、投票率は67.3%でした。前回の衆院選(2017年)と比較すれば+11.7%で、これを現在の有権者数に当てはめて計算した場合、約4万9千人の投票者になります。前回の小選挙区での当選者(与党候補)と次点(野党候補)の得票差は約3万1千票ですから、理論上は逆転可能な投票者数と言えます。
ここでは結果の良し悪しを一旦置いて考えて頂きたいのですが、確かに有権者一人ひとりには1票しかなく、それだけで何かを変えることはとても難しいです。でも、選挙は結局その1票1票の積み重ねです。1票が5万票になれば、江東区(小選挙区)での当選者が交代し、それが全国289小選挙区(実際には比例代表11ブロックも併せて)の過半数で起きれば、政権を交代させることもできるわけです。
例えば政権交代までいかなくても、野党の議席が大きく増えれば(与党の得票が大幅に減れば)、与党内はもとより行政機関でも緊張感が高まります。それだけ多くの方が現在の行政執行に不満を持っている、今後に不安を募らせているというメッセージを、有権者から受け取ったことになるからです。
一般的に政治家は選挙結果(当落)に直結するので得票数を気にします(中にはそれしか気にしていないと思われるような人も残念ながらいます)が、行政機関も気にしています。信任投票のようなもので、投票率の高低に関わらず(ここが問題です)、例え消極的にでも信任されたかどうかの判断材料にするわけです。
つまり投票に行かないということは、現在の与党・行政に対して白紙委任状を出したことになってしまいます。
ぼく自身は、1997年都議選投票率のあまりの低さ(全体で40.8%)に衝撃を受け、特に同世代(当時の20代30代)の無関心さを肌で感じて、このままでは政治の場に自分たち世代の声が届かない!と大きな危機感を覚えました。
それが、銀行を辞めてまでもこの世界に飛び込まなければならないと考えた最初のきっかけでしたので、何とか少しでも投票率を上げたいとの思いから、「現状の政治行政(あるいは「生活」と言い換えてもいいかもしれません)に何かしら満足していないのであれば、(ぼくに投票して頂けるかどうかは別にして)まずは選挙に行ってください!
そして自分が投票した候補者(政党)を覚えていてください!」と言い続けています。
「民主主義=デモクラシー」の語源は、ギリシャ語の「デモス=人民」です。民主主義では人民(国民)に主権があり、一握りの人間による支配とは異なり、国民が政治に参加し、民意によって国を動かすというシステムです。国民は政治制度に参加する責任を持ち、その代わりに権利と自由が保護されるという、自由を制度化したものとも言えます。
(ぼくの趣味で恐縮ですが…)「銀河英雄伝説」(田中芳樹著)の中で、民主共和制側の主人公が「(ある政治家を)政権につけたのは、たしかに人民自身の責任です。他人を責めようがありません。まさに肝腎なのはその点であって、専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。」と話す場面があります。このセリフは民主主義の本質、「任せる」ではなく「引き受ける(参加する)」という姿勢を的確に表現している、と思っています。いかがでしょう。
しかし現実には、「1票の意味」でも書いた通り、有権者の半分近い方が選挙に行っていない(政治制度に参加していない)わけで、残念ながら、他人のせいにしている、人に任せきってしまっている、ひいては民主主義が本当には機能していない、と言えるのではないでしょうか。
また、民主主義の場合、どんな課題への対応にしても、全体的な合意を得るには時間がかかりますし、必ずしも合意が形成できるわけでもありません。民主主義は時間がかかる、民主主義のコストは時間と手続きだ、とよく言われます。
でも、この合意を得る過程が最も大事だと考えています。様々な視点から議論を尽くして、問題点を洗い出し、より良い施策に磨き上げ、そして決定されたことには全員が責任を持つ。「野党の存在意義」でも書きましたこの過程こそが民主主義の肝であり、その中心舞台が議会なんだと考えています。
最後に、英国宰相であったウィンストン・チャーチルの「…democracy is the worst form of Government except for all those other forms that
have been tried from time to time…」という言葉は名言と言われています。
民主主義は(時間もかかるし、そもそも多数決にも問題は多いし)最悪の政治形態なのかもしれません。でも、他よりマシなんです。
まず「請願」とは、憲法第16条に認められた権利で、地方自治法第124条に地方議会への請願の提出について記載されていて「議会に請願しようとする者は、議員の紹介により請願書を提出しなければならない。」とされています。一方、「陳情」には法的根拠がないため、紹介議員は必要なく、その取り扱いも実は議会によって異なっています。
江東区議会では、「区政についての要望や希望を請願・陳情として受け付けて」いて、「請願と陳情は、どちらも審議等の扱いは同じです。」としています(HPにも記載)。
一方でぼくが「議会で議員は「要望」(=陳情)は発言しても「問題解決策」に対する提案がほとんどない」と問題意識を強く持つのは、各議員が自分の地域(いわゆる”地盤”と言い換えてもいいかもしれません)の個別の要望を取り上げることが極めて多い点です。つまり、ただ単にどこそこの道路をどうにかして欲しい、あそこの公園をこうして欲しい、の類です。ぼくはこれを”議員の陳情合戦”と呼んで、自省しています。
もちろん、こうした個別の問題は、短期的なものであれ中長期的なものであれ、とても大事です。でも、個別の問題は、原則個別に対応するべきで、議会(特に本会議や予算委員会など)で取り上げるのであれば、そうした個別の問題の肝は何なのか、そしてそれはその地域全体、あるいは江東区(区民)全体から見た時にどうなのか、少なくともそういう観点を持って発言するべきだと考えています。そうしないと、単なる要望の応酬、言ってみれば個別の利害の代弁にとどまってしまいます。それでいいのでしょうか。
議会の役割は、行政のチェック・監視機能だけではないと考えていますし、例えば翌年度の予算を審議する予算委員会の場で、個々の議員が単なる要望を重ねているだけでは本当の議会とは言えないと、常に危機感を持っています。
冒頭に述べた正式な請願・陳情の審査にあたっても、仮に個々の内容でもそこに訴えられている問題のポイントは何か、他の地域に同様の問題はないのかなど、上記と同様の観点から捉えるように努めています。それが、区民の代弁者として議会で発言させて頂く議員の役割だと考えているからです。
P.S. 実は「正式な請願・陳情の審査」に関しても、現状、課題があると考えていますので、それはまた別の機会にお話ししてみたいと思います。
まず江東区の対応です。令和2年度に補正予算を9回、令和3年度も5月時点で既に3回目を編成中ですが、例えば令和2年度は新型コロナウイルス感染症対策として一般会計総額660憶円強を計上しました。このうち、区民生活を支える直接的な支援策を見ると、特別定額給付金(約535憶円)、子育て世帯やひとり親世帯への臨時特別給付金(約12.4憶円)、住居確保給付金の拡充(約7.3憶円)などがありますが、これらはいずれも国の事業で財源も概ね国の予算です。逆に言えば、国や東京都の予算で実施される事業の実際の窓口は区であることが多いわけです。
現在も実施されている住居確保給付金事業は、離職等により住居を失うまたはそのおそれがある方が家賃相当額を原則1度、最長12か月まで給付が受けられるものですが、相談の窓口は区の福祉事務所(区役所・総合区民センター)になっています。また、都の緊急小口資金(20万円以内)・総合支援資金(二人以上世帯で月20万円以内など)の特例貸付の相談窓口は区の社会福祉協議会(東陽)です。
一方で、区の予算による独自施策というものがあって然るべきで、令和2年度で言えば、PCRセンターの整備などの体制強化、中小企業融資事業(緊急融資の拡充)や持続化支援家賃給付事業(中小企業への家賃給付)、区内共通商品券の発行などが挙げられます。このように区の財源で予算が編成される際には、実施するべき施策や内容に関して会派(民政クラブ)として要望活動を行ってきました。
個人的には、日常の活動の中でお聞きしているお困りごとや課題などをベースにして、区に対する「会派としての要望書」を取りまとめ提出しました。また、令和3年度の当初予算編成にあたっては、各種の団体へのヒアリングも実施した上で同様に取りまとめをしました(今の会派としては初の試みでした)。いずれも、実質的に実現した内容もあれば、取り組まれなかったこともありますが、こうした活動は区議会議員として継続して行うべきものだと考えています。
また、議会の場で区の施策や計画に関して提起を行い続けることも大事だと考えています。例えば昨年四定(11月)の本会議や3月の予算委員会では、その時点の感染状況を踏まえて、まずは感染症対策に十分な予算措置がなされているかを検証した上で「区独自の支援策を引き続き検討していくのか」質しましたし、「区の対策本部が十分に機能しているのか、もっと可視化するべき」と提起しました。また、「感染症対策下においても前に進めなければならない施策、すなわち地球温暖化対策や地域コミュニティの活性化、地域防災力の強化などには目標値をしっかりと設定して取り組んでいくべき」と主張しました。
いずれの場合も、前述の通り、日常活動の中で様々にお聞きしている内容がベースになっています。こうして日々ご質問やご意見などのお声を伺うことや、先ほどのように区の相談窓口をお伝えしたり一緒に取り組ませて頂いたりすることで、少しでも助けになれているのなら良いなと思っています。
そもそも私たちはなぜ税金を納めているのか。教科書的に言うと、17世紀イギリス市民革命期の哲学者・ホッブズとロックは「租税とは、国家が私たち市民に提供する生命と財産の保護、このふたつの便益への対価である」としました。ふたりは「国家像」を転換させ、その担い手は「市民」であるとし、国家に生命と財産の保護という機能を担わせるために、それに必要な経費を市民が自発的に拠出するという、それまでの受け身の捉え方からの転換を生じさせたのです。そして大事なことは、「租税は、議会を通じた市民社会の同意のもとに徴収され、その使途も予算審議を通じて市民社会がコントロールする権限を獲得した」という考え方です。
さて、その中で住民税には道府県民税(都民税)と市町村民税(特別区民税)があり、東京23区の場合、個人分は両方あわせて区に納税し、法人分は都にあわせて納めます。
個人住民税には主に所得割と均等割があり、所得割は前年の所得金額に応じて特別区民税6%(都民税は4%)、均等割は定額で特別区民税3,500円(同1,500円)、ただし現在は法律によって500円加算された額、となっています。
江東区の令和元年度決算によれば、歳入(収入)合計約2,031憶円のうち特別区民税は約502億円で、全体の24.7%を占めています。特別区交付金(都区財政調整制度に基づく都からの交付金=この財源の一つが法人住民税の特別区分です、同31.7%)と併せて歳入の根幹と言われる所以です。
そして歳入には「一般財源」と「特定財源」があり、特別区民税は一般財源です。これは、使い道が特定されていないということです。つまり、特別区民税によって、区が行っている様々な事業(令和3年度当初予算ベースで871あります)の、4分の1程がまかなわれているということです。
先ほど「(個人住民税均等割は)法律によって500円加算され」ていると言いましたが、これは「東日本大震災からの復興に関し地方公共団体が実施する防災のための施策に必要な財源の確保に係る地方税の臨時特例に関する法律」という名前(長い!)の法律によって、平成26年度から平成35(令和5)年度までに限って加算されているのです。
例えばこの貴重な財源が、本当に「防災のための施策に要する費用」として使われ、効果を上げてきているのか、当然チェックをしなければなりませんが、それこそ、議会の大事な仕事の一つだと考えています。
令和2年度(12月現在)の住民税(都民税もあわせてですが)負担額は、区内の納税義務者の方一人当たり約28万8千円。この使い道が本当に私たちの生活の役に立つものとなっているのか、区が実施している900程の全ての事業を精査する必要があります。そういう考えで区議会の「決算審査特別委員会」(毎年9~10月頃に5日間の予定で行われます)に臨んでいる議員が果たしてどれほどいるのか、残念ながら非常に心もとないのですが、少なくとも会派内にはこうした土壌を作ることに努めています。
「政務活動費」とは、「地方自治法」第100条第14~16項までの規定と、「江東区議会政務活動費の交付に関する条例」の規定に基づき、「区議会議員の調査研究その他の活動に資するため必要な経費の一部として、議会における会派(所属議員が1人の場合を含む。)に対し」、「所属議員数に月額20万円を乗じて得た額を四半期ごとに交付」されるものです。平成12年の地方自治法改正によって「政務調査費」として制度化されました。
具体的にぼくが所属している民政クラブに当てはめますと、11人×20万円×3=660万円が4か月に一度支給されます(従って年間では2,640万円)。これを、各議員に月額19万円(年間228万円)ずつ一旦預けて、各々が使用した上で年度末(実務的には毎年5月末迄)に集計する方法を取っています(月額1万円は会派で集めて仮の共益費として使用しています)。
さて使途ですが、前述の条例の中に「政務活動費を充てることができる経費の範囲」という部分があります。ここには項目(費目)が記載されていて、「調査研究費」の他に「研修費、広報費、広聴費、要請・陳情活動費、会議費、資料作成費、資料購入費、人件費、事務所費」に充当出来るとされ、それぞれに、例えば広報紙印刷費、事務機器購入費、事務所の賃借料といった内容も示されてはいますが、個別具体的な中身までは記載がありません。
そこで、より詳しい内容を「政務活動費の手引き」(以下「手引き」)としてまとめ、ホームページにも公開
(https://www.city.koto.lg.jp/650103/kuse/kugikai/aramashi/documents/tebiki.pdf)
しています。実際にはこれに沿って支出の判断を厳密に行っています。
「手引き」には、「複数の項目に該当する経費の留意事項」として、例えば「飲食を伴う会議(懇談会)について」の欄には、「飲食に政務活動費を支出することは認めないが、政務研究その他の活動を目的とした研修会、情報収集・意見交換会等であって、調査目的に付随(連続)した懇親会・懇談会等である(飲食を主目的としない)場合には、飲食相当額を控除して、支出することができるものとする。」と書かれています。
この部分で必ず議論となるのが、町会・自治会や各種団体などの“新年会”や“総会後の懇親会”といった会合への参加費です。令和2年度は感染症対策下でこうした支出が見られませんでしたが、それ以前には、飲食相当額として50%を控除して支出しているケースもありました。これはなかなか難しい判断だと考えています。
個人的には、そうした会合に出席する場合、飲食を主目的には考えません。様々な方から様々なご意見やご要望をお聞き出来る場だと考えています。それでも、どこまでが政務活動(広聴費対応)でどこからが懇親だと明確に線引きすることも不可能です。なのでぼく自身は、いわゆる公式な会合であっても飲食が提供されるものであれば、その会費に政務活動費を充当していません。
他にも、最近では広報紙の類(ぼくの場合は「立憲民主号外」として発行しています)の按分率が議論になることが多いです。現在の「手引き」では、「掲載スペースに合わせた按分による支出が適当」となっていて、紙面の内容から面積によって按分充当するという方法ですが、これも、どこまでが政務活動(広報費対応)なのか線引きが難しいです。(ぼくは50%にしています。)
このように、政務活動費は、議員活動の限られた一部に対して使われていますが、そもそも議員活動の中身を線引きすること自体難しいですし、そのことに(多大な労力を注ぐ)意味があるともあまり思えません。
(余談ですが、年度末に11人分を集計し、会派として1つの収支報告書を作成するのは事務的になかなか膨大な作業量です。)
ぼくは、議員報酬(給与)や費用弁償(これも現在議論しています)に政務活動費も包含して、「地方歳費」のような1つの仕組みに再構築すべきではないか、もちろん使途は公表して、言わば議員活動の連結決算として公開する形に出来ないか、と考えています。
実は、今回お話しした「手引き」を適用し始めたのは平成19年度(当時の名称は「政務調査費」。たまたまぼくの1期目)のことで、その後もブラッシュアップし続けて(議会に設置している「政務活動費のあり方検討会」で継続的に検討を行って)いますが、それ以前は、使途の領収書等も公開されず、年度末に残余分を「返還」することもなかったようです。結局は、議員一人ひとりがどういう意識で政務活動費という公費に向き合うのか、ということが常に問われているんだと考えています。
区議会への挑戦当初から、≪学校を中心とした地域づくり≫を掲げていました。議席をいただく前から、当時の柿沢未途東京都議会議員と一緒に第三大島小学校(以降、三大小)でのICタグを使った子どもたちの登下校見守りの実証実験を仕掛けたり、子どもたちと一緒に地域安全マップを作成したりしていました。そうした経験もあり、例えば平成23年の選挙公報には『学校を中心としたコミュニティづくり』、平成27年には『「学校支援地域本部」や「コミュニティスクール」の実現を目指し、子どもたちを地域で守り、育てていきます』と記載しました。
こうした思いから、大島地区のPTA会長さん達とは日頃から何かと接点を持ち続けていたのですが、子どもが三大小に入学する2年ほど前から、当時の三大小の会長さんに「入学したら是非ともPTA会長に!」と、何故かとても強い要請を受けました。そして何度かの話し合いを経て、最終的には、本当に異例ながら入学初年度からの会長をお受けしました。
ここまで丸3年。1年目は例年通りの活動、つまり春の運動会のお手伝いに始まり、大島地区の各行事(最大のものは9月の大島フェスティバル)への参加、PTA秋まつり(バザーやカレー、ストラックアウト等々校内あげての大イベント)の主催などに加え、学校史上初めての校庭キャンプをおやじの会と共催で実施しました。2年目には、例年12月に行う餅つき大会を、現役保護者だけでなくPTA・おやじの会のOBOGと一緒になって(これも初めてのことでした)、年末子どもまつりとして大規模開催しました。そして、突然の臨時休業に直面したわけです。
まさに一転して、このような行事物は全て中止とせざるを得ない状況になりました。しかし、だからこそ、感染症対策下の学校生活のお手伝いを何かしら出来ないかと考え、登下校時の見守りや校庭の芝生等の整備、5年生や6年生の代替行事のお手伝いに取り組みました。
これらはすべて、PTAそのものの存在意義や加入の任意性等が問われている中で、もっとシンプルに、家庭・学校・地域それぞれがお互いに任せっきりにするのではなく、疑問に感じたことや意見などを気軽に話し合える関係を作っていくことが大事だと考えてのことです。それが結果として、“子どもを多面的に見る”ことにつながり、子どもたちの成長に少なからず良い影響を及ぼしてくれるのではないかなと思っています。
こうした中で、今年度から三大小では「地域学校協働本部」の本格実施に取り組んでいます。
地域学校協働本部とは、「多くの幅広い層の地域住民、団体等が参画し、緩やかなネットワークを形成することにより、地域学校協働活動を推進する体制として、平成27年の中央教育審議会の答申で提言されたもので」、「地域が学校・子供たちを応援・支援する一方向的な活動から、地域と学校が目標を共有して行う双方向の「連携・協働」型の活動の充実に向けて、取組を推進していくことが重要」とされています(文科省サイトより)。
これだけでは分かるようで分からないような内容ですが、此の間、前述のような実践を積み重ねてきたことから、少しリアルなイメージが見えてきたと感じています。
令和3年度のPTA活動方針案には「新型コロナウイルス感染症対策下で活動の制限を余儀なくされている学校生活で、子どもたちの笑顔が失われないように、家庭・学校・地域が連携して、安全で楽しく、思いやりにあふれる三大小作りを目指して活動します」と書かせていただきました。これは、地域学校協働本部の活動を積み重ねていくことによって、地域の中での子どもたちの成長を軸に、保護者を含めた地域の大人たちのつながりも深め、感染症に限らず、自然災害や犯罪にも強いコミュニティづくりにつながっていくと考えているからです。
議員の視察、それも宿泊を伴うもの(ここではあえて“旅行”という言葉は使いませんが…)にはいくつかのパターンがありますが、最も代表的なものは「国内都市行政視察」です。これは、任期4年間のうちの最初の3年間(今回の任期で言えば令和元~3年度)で議員全員が派遣されるものです。
例えば令和元年度で言えば、8月に、
第1団として、岩手県釜石市、大槌町、宮城県仙台市(2泊3日)に議員6名、区職員3名が、
第2団として、広島県広島市、福山市、岡山県総社市(同上)に議員8名、区職員3名が派遣されましたが、
ぼくはこの第2団に参加して、広島市と総社市では豪雨災害対応と復興について、福山市ではグリーンスローモビリティについてそれぞれ視察させて頂きました。
この時の内容も踏まえて、同年11月の本会議では『非常時も想定した「地域コミュニティ」づくり』について質疑を行い、その中で、
「…本年8月の国内都市行政視察において、岡山県総社市の災害復興事業がありました。昨年7月の西日本豪雨に伴う被害からの復興状況の視察でした。
総社市の場合、地区内のアルミニウム工場の爆発事故という二重の被害があり、単純に比較等出来るものでもありませんが、建物被害の甚大さに比べて人的被害の少なさ、特に工場の水蒸気爆発が起きてしまった地区において人的被害を出さずに済んだということは、お隣の倉敷市真備地区の被害を例に出さずとも特筆すべきことだと考えます。
日頃からの地域の結束、訓練のたまもの、住民同士の顔がつながるコミュニティが形成されていたことが大きなポイントです。…」
と言及し、日頃の地域コミュニティの形成についても、江東区がコーディネーター役を果たすべきとの視点から質疑を展開しました。
(ちなみに、この質疑は
https://koto-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=2167
から録画映像を視て頂くことが出来ます。)
このように、議会での質疑の参考として活かしたつもりですが、でも敢えて言ってしまうと、本当に現地に行く必要がどこまであったのかと問われれば、正直、自信を持っては答えられないです。
もちろん、実際に現地を視ることが重要な場面がたくさんあることは言うまでもないのですが、要は、(時間なども含めた)コストパフォーマンスがどうかということだと考えています。この点で、ぼくは宿泊を伴う単純な視察は様々なコストに見合わないと考えています。ぼくが“視察ぎらい”と言われる所以です(笑)。
ところでこの感染症対策下において、令和2年度以降は派遣を延期してきていたのですが、とうとう今年度も中止となり、この4年間では前述の14名(ぼくを含む)だけが視察を行ったことになりました。今年度の中止が決定された(既に組成されていた視察予定団の団長(だいたい年長議員=期数が多い議員が務めます)を中心に決定するのですが)時に、もちろん感染拡大防止が大事でありやむを得ない決定であったわけですが、ある意味、“不要不急”の活動だと自ら認めたことにならないか、と考えてしまいました。そして、その程度ならばそもそも行く必要が本当にあったのかと。
大事なことは、公費を活用して視察に行かせて頂く一人ひとりが、目的意識や達成目標をしっかり持って現地に向かい、何を持って帰って来ることが出来るのか、にかかっているのではないでしょうか。
P.S.
「政務活動費」の項と同じような結びになってしまいましたが、「政務活動費を活用した視察」もあり得るので、公費との向き合い方という意味で、同様の提起になってしまいましたね。
みんなの顔の見えるこの街で、ひたむきに地域密着の活動をすすめています。みなさまの声はじんのゆずるのエネルギー。ぜひとも、ご意見・ご要望をお聞かせください。