教えてじんのさん

このコーナーでは区民のみなさんが気になる・疑問に思う、政治や社会のトピックについて、一般的な知識の説明や、じんのゆずるの意見をお答えします。

Q1.区議会って何をする場所なの?

江東区議会のサイトによれば、「区議会は、区民の皆さんから選挙によって選ばれた議員で構成される区の意思決定機関です。区議会の権限は、条例の制定やその改廃のほか、予算の議決、決算の認定、請願・陳情の処理等があります。」となっています。
また、その仕事は、「区長や議員から提出された議案を審議して、その可否を決めることを議決といいます。議決には、予算や条例など団体としての江東区の意思を決めるものと、意見書や決議など区議会の機関意思を決めるものとがあります。」や「区議会は、区の事務全般にわたって調査する権限を持っています。また、区の事務の執行管理・出納の検査をすることができます。これらの権限の行使により、行政の執行をチェックすることができます。」と記載されています。
役割はその通りですが、問題は、江東区議会の場合、議案が実質、区長提案のみであることと、その提案が全て可決されることを前提としていることだ、と考えています。
誤解を恐れずに言えば、区側の力が強過ぎる、ということでしょうか。議会側も自公で過半数を得ているので、多数決を取れば結果は自明な(区側の提案通りになる)わけです。
もちろん、区民にとって良い提案であれば可決されて然るべきです。ぼくが本当に問題だと考えるのは、議会側の思考が止まってしまっていないだろうか、ということです。
委員会でもほとんど質疑をされない議員もいますし、そうした議員個人の問題だけでなく、議会としても、例えば予算委員会では、その会派が予算案になぜ賛成(反対)するのか、表明をする場面がありません。ちなみに東京都議会では、採決の前に「討論」という時間があり、各会派が理由を含めて賛成・反対を明確に表明します。
江東区議会の場合、各議員が、様々な区の事業に対する質問や意見を発言はしますが、区長提案の予算案になぜ賛成(反対)するのか、議員全員がしっかり考えているのか、疑問に思えてしまいます。
ぼくが「本当の議論ができる、透明な議会に改革!」と言っているのは、こういう点を指しています。議会としての仕組みづくりが、まだまだ必要です。

Q2.じんのさんの政党や会派はどのようなもの?

今、立憲民主党に所属をし、区議会では民政クラブという会派に所属をしています。
2007年、当時の民主党公認で区議選に初挑戦させていただきました。これは、当時は民主党の都議会議員であった柿沢未途(現)衆議院議員の影響が大きかったです。ご健在でいらっしゃった故柿沢弘治元外務大臣共々に全面的なサポートをして頂きました。
2期目も民主党公認で再選、3期目はあえて公認をお断りして無所属で挑戦、一敗地にまみれました。この時は、区議会で別々に存在していた民主会派と維新会派を、改選後には統合してより大きな固まりを作りたい、そのために自分が無所属となって両者の接着剤的な役割を担わなければならない、と考えてのことでした。
こうした経緯の中で、2019年の再チャレンジでは、立憲民主党の公認を頂きました。落選中にも不定期ながら続けてきた「コミュニティミーティング」という活動が自分のベースだと考えていますし、それが立憲民主党の標榜する「草の根民主主義」と合致すると考えたからです。
(ちなみに、国会議員などの来賓をお呼びする従来型の議員の区政報告会を脱し、地域の現状や課題を公の場で共有する仕組みを創るために、テーマや対象の方々を絞った小規模なタウンミーティングのことを「コミュニティミーティング」と名付けています。)
そして、おかげ様で再び議席をお預かりすることができ、2015年に(自分は当選を果たせませんでしたが)前述の統合会派を作ることはできていたので、それをもとに、ぼくを含む復帰組と新人を加えて11名による第二会派(2番目に人数が多いという意味です)・民政クラブを結成しました。立憲5名の他に国民民主2名、無所属4名の構成。
本来、地方議会は国会と違って与党・野党という考え方はないのが当然です(首長と議員が別々の選挙で選ばれる二元代表制なので)。民政クラブも、区長提案の予算などの議案に賛成をしながら、言わなければならない意見をしっかり言い込んでいく、というスタンスです。
でも、自分たち自身が、史上初めて自公以外が第一・第二会派になった重みをまだまだ活かせていないと考えています。これからです。

Q3.地方自治とは何?

日本の地方自治制度は、廃藩置県(明治4年)より少し前に、「府藩県三治の制」などを定めた「政体書」が起源となっています。そして現在の制度は、戦後の昭和22年に「日本国憲法」とともに制定された「地方自治法」に基づいています。
憲法では、第8章に「地方自治」という記載があり、第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。と記され、地方自治は保障されています。
でも、「地方公共団体」、つまり”地方において公共の行政サービスを行う団体”という名称が指し示す通り、自治(自ら治める)という言葉とは裏腹に、あくまで”国から業務を委託された出先機関”という位置付けに読めませんか?
本来は「地方自治体(自治体)」の名の通り、自治体住民(江東区民)の命と暮らし(財産)を守るためにその地域(江東区)の特徴に合った施策を検討・実行するべきではありませんか?(ちなみに自民党の憲法改正草案(平成24年)でも、「地方公共団体」という法律用語は「地方自治体」に改められています。)
例えば、(市町村と都道府県の関係ではありますが)平成30年6月に成立した地方分権一括法(第8次)の中に、保育所等の「利用定員の設定・変更に係る市町村から都道府県への協議を廃止し、事後届出とする」という内容があります。これによって、事前に東京都(知事)に協議する必要が無くなり、自治体(地域)に合った保育所の定員設定を迅速に行うことができるようになっています。
(*「地方分権」と本来の「地方自治」は異なる概念だと考えていますが、ここでは一例として挙げさせていただきました。)
また、災害への対応は、例えば昨年の台風19号を思い起こすまでもなく、仮に国がすべてを決めていたとしても被害想定はそれぞれ異なるわけですし、事前の備えや現場での対応は自治体が置かれた状況に応じて行わなければなりません。国や都道府県よりもその特徴を最も熟知しているわけですから。(もちろん被災後の支援には国も大きな役割を担う必要があります。)
しかし、江戸時代以来の中央集権型の社会から本当の意味で脱却して、自分たちが暮らす地域(自治体)づくりを地域自身で行うには、仕組みの改革はもちろんのこと、地域側(自治体・議会)の大きな意識改革が絶対に欠かせません。
現在の新型コロナウイルス対策に関しても、国や都の示すことだけを実施していて本当に区民を守れるのか、と強く考え発言をしています。例えば江東区は人口増が続いている、臨海部と城東地区では環境が大きく異なる、特に臨海部では子育て家庭も多い、コミュニケーションの場としての商店街やお店などがまだまだ元気に頑張っている地域がある…などなど、23区の中だけで比較しても江東区の特徴がたくさんあります。最も合った支援策は自治体でしか作ることが出来ないはずです。
住民の命と暮らしを守るためには、地方自治(地域自治)の深化がどうしても必要です。

Q4.野党の存在意義って何なの?

日本の国政は議院内閣制をとっています。内閣(行政機関)のトップである内閣総理大臣は国会(立法機関)によって国会議員の中から選ばれます。今で言えば自民党・公明党が国会の過半数の議席を占めていますので、多数決によって両党の国会議員の中から総理大臣が指名され、各省の大臣・副大臣・政務官を任命します。つまり自・公が内閣を形成する「(連立)与党」(政権担当政党)です。一方、それ以外の政党は、政権を担当しない政権の外にある在野の党、つまり「野党」です。
平成21年に実質初めて衆議院の総選挙で政権が交代し、民主党(当時。以下同じ)が与党に、自民党が野党になりました。政権交代可能な二大政党制を目指すとすれば、ようやく第一歩を踏み出せたわけですが、この時の総選挙では野党であった民主党のマニフェストが大人気となりました。
「与党は実績で争い、野党はマニフェストで争う」と言われますが、これは選挙の時だけではありません。マニフェストを「政権政策」と言い換えれば、野党は、「自分たちが政権を担当すればこういう政策に取り組む」「この政策のこういう点が問題なので、自分たちならこういう異なる視点に立ち、こう改める」といった姿勢で発言(本会議や委員会の場だけでなく、質問主意書という文書による質疑も含めて)していく必要があります。
国会で野党が政策提案をしても、それ自体は多数決で必ず否決されてしまいます。が、そのことによって、内閣(与党)が提案する政策をブラッシュアップする(磨きをかけてより良いものにする)ことが出来、それこそ野党が担うべき大事な役割です。
ちなみにぼく自身はいわゆる”審議拒否”は絶対にするべきでない、議員としての責任放棄だ、と考えますが、場面によっては審議拒否をすることで与党の譲歩を引き出す、ひいては政策がより良くなるという展開があるんだそうです(この感覚は経験しないと分からないのかもしれません)。その是非はともかく、野党は反対ばかりしている、例の問題ばかり扱っている、という報道の上っ面だけを見るのではなく、その背景や中身をしっかり捉え、自分なりに考えていくことが有権者に求められると考えています。それが、与党案を多様な面から検証して、より良い政策に磨き上げる過程に必要不可欠なことなんだと。
ところで都政や区政の場合は議院内閣制ではなく、行政のトップ(知事や区長)も議会(議員)も直接選挙で選ばれる二元代表制です。従って制度的には与党・野党という関係は存在しません。実際には”区長与党”という言い方をよくしますが、これは疑似的なものです。
でも、行政(区長)が提案する政策をブラッシュアップする(あるいは提案されない政策を新たに提起する)ことが、本来議会が担うべき最も大切な役割である、という点は同じだと考えています。

Q5.たった1票を入れるために選挙に行く意味ってあるの?

直近5回の各種選挙の江東区での投票率を見ると、2016年「都知事選」61.7%、2017年「都議選」54.6%、同年「衆院選」55.6%、2019年「区長・区議選」46.7%、同年「参院選」52.4%と、一番高かった前回の都知事選でさえ6割にやっと届いた程度(それでも都全体の投票率よりはやや高めですが)で、メディアに採り上げられることが比較的多い国政選挙でも50%台が常態化してしまっています。つまり、有権者の半分近い方が選挙に行かないわけです。
「野党の存在意義」でも書きました2009年の衆院選の時、投票率は67.3%でした。前回の衆院選(2017年)と比較すれば+11.7%で、これを現在の有権者数に当てはめて計算した場合、約4万9千人の投票者になります。前回の小選挙区での当選者(与党候補)と次点(野党候補)の得票差は約3万1千票ですから、理論上は逆転可能な投票者数と言えます。
ここでは結果の良し悪しを一旦置いて考えて頂きたいのですが、確かに有権者一人ひとりには1票しかなく、それだけで何かを変えることはとても難しいです。でも、選挙は結局その1票1票の積み重ねです。1票が5万票になれば、江東区(小選挙区)での当選者が交代し、それが全国289小選挙区(実際には比例代表11ブロックも併せて)の過半数で起きれば、政権を交代させることもできるわけです。
例えば政権交代までいかなくても、野党の議席が大きく増えれば(与党の得票が大幅に減れば)、与党内はもとより行政機関でも緊張感が高まります。それだけ多くの方が現在の行政執行に不満を持っている、今後に不安を募らせているというメッセージを、有権者から受け取ったことになるからです。
一般的に政治家は選挙結果(当落)に直結するので得票数を気にします(中にはそれしか気にしていないと思われるような人も残念ながらいます)が、行政機関も気にしています。信任投票のようなもので、投票率の高低に関わらず(ここが問題です)、例え消極的にでも信任されたかどうかの判断材料にするわけです。
つまり投票に行かないということは、現在の与党・行政に対して白紙委任状を出したことになってしまいます。
ぼく自身は、1997年都議選投票率のあまりの低さ(全体で40.8%)に衝撃を受け、特に同世代(当時の20代30代)の無関心さを肌で感じて、このままでは政治の場に自分たち世代の声が届かない!と大きな危機感を覚えました。
それが、銀行を辞めてまでもこの世界に飛び込まなければならないと考えた最初のきっかけでしたので、何とか少しでも投票率を上げたいとの思いから、「現状の政治行政(あるいは「生活」と言い換えてもいいかもしれません)に何かしら満足していないのであれば、(ぼくに投票して頂けるかどうかは別にして)まずは選挙に行ってください! そして自分が投票した候補者(政党)を覚えていてください!」と言い続けています。

Q6.民主主義ってどういうものなの?

「民主主義=デモクラシー」の語源は、ギリシャ語の「デモス=人民」です。民主主義では人民(国民)に主権があり、一握りの人間による支配とは異なり、国民が政治に参加し、民意によって国を動かすというシステムです。国民は政治制度に参加する責任を持ち、その代わりに権利と自由が保護されるという、自由を制度化したものとも言えます。
(ぼくの趣味で恐縮ですが…)「銀河英雄伝説」(田中芳樹著)の中で、民主共和制側の主人公が「(ある政治家を)政権につけたのは、たしかに人民自身の責任です。他人を責めようがありません。まさに肝腎なのはその点であって、専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。」と話す場面があります。このセリフは民主主義の本質、「任せる」ではなく「引き受ける(参加する)」という姿勢を的確に表現している、と思っています。いかがでしょう。
しかし現実には、「1票の意味」でも書いた通り、有権者の半分近い方が選挙に行っていない(政治制度に参加していない)わけで、残念ながら、他人のせいにしている、人に任せきってしまっている、ひいては民主主義が本当には機能していない、と言えるのではないでしょうか。
また、民主主義の場合、どんな課題への対応にしても、全体的な合意を得るには時間がかかりますし、必ずしも合意が形成できるわけでもありません。民主主義は時間がかかる、民主主義のコストは時間と手続きだ、とよく言われます。
でも、この合意を得る過程が最も大事だと考えています。様々な視点から議論を尽くして、問題点を洗い出し、より良い施策に磨き上げ、そして決定されたことには全員が責任を持つ。「野党の存在意義」でも書きましたこの過程こそが民主主義の肝であり、その中心舞台が議会なんだと考えています。
最後に、英国宰相であったウィンストン・チャーチルの「…democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time…」という言葉は名言と言われています。
民主主義は(時間もかかるし、そもそも多数決にも問題は多いし)最悪の政治形態なのかもしれません。でも、他よりマシなんです。

Q7.区議会への陳情とはどんなこと?

まず「請願」とは、憲法第16条に認められた権利で、地方自治法第124条に地方議会への請願の提出について記載されていて「議会に請願しようとする者は、議員の紹介により請願書を提出しなければならない。」とされています。一方、「陳情」には法的根拠がないため、紹介議員は必要なく、その取り扱いも実は議会によって異なっています。
江東区議会では、「区政についての要望や希望を請願・陳情として受け付けて」いて、「請願と陳情は、どちらも審議等の扱いは同じです。」としています(HPにも記載)。
一方でぼくが「議会で議員は「要望」(=陳情)は発言しても「問題解決策」に対する提案がほとんどない」と問題意識を強く持つのは、各議員が自分の地域(いわゆる”地盤”と言い換えてもいいかもしれません)の個別の要望を取り上げることが極めて多い点です。つまり、ただ単にどこそこの道路をどうにかして欲しい、あそこの公園をこうして欲しい、の類です。ぼくはこれを”議員の陳情合戦”と呼んで、自省しています。
もちろん、こうした個別の問題は、短期的なものであれ中長期的なものであれ、とても大事です。でも、個別の問題は、原則個別に対応するべきで、議会(特に本会議や予算委員会など)で取り上げるのであれば、そうした個別の問題の肝は何なのか、そしてそれはその地域全体、あるいは江東区(区民)全体から見た時にどうなのか、少なくともそういう観点を持って発言するべきだと考えています。そうしないと、単なる要望の応酬、言ってみれば個別の利害の代弁にとどまってしまいます。それでいいのでしょうか。
議会の役割は、行政のチェック・監視機能だけではないと考えていますし、例えば翌年度の予算を審議する予算委員会の場で、個々の議員が単なる要望を重ねているだけでは本当の議会とは言えないと、常に危機感を持っています。
冒頭に述べた正式な請願・陳情の審査にあたっても、仮に個々の内容でもそこに訴えられている問題のポイントは何か、他の地域に同様の問題はないのかなど、上記と同様の観点から捉えるように努めています。それが、区民の代弁者として議会で発言させて頂く議員の役割だと考えているからです。
P.S. 実は「正式な請願・陳情の審査」に関しても、現状、課題があると考えていますので、それはまた別の機会にお話ししてみたいと思います。

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